日曜日の午後、家でテレビを見ていますと、外国人労働者をめぐる政策について議論していました。
ある評論家は、外国人が日本の労働市場に入ると、とりわけ単純労働を担っている日本人全体の給料が下がってしまい、更に進むと職を奪われてしまうことを問題視していました。
別の人は、そもそも人手が足りずに倒産する会社や閉めていくお店が増えているのに、悠長なことは言っていられないと反論していました。
更に別のコメンテーターは、外国人労働者を受け入れるためにかかる費用よりも、外国人労働者が生み出す税収が上回れば、その政策は成功だと解説していました。
賛成と反対が入り混じる発言ですが、どの意見ももっともな部分があり全て正しく思えて、ますますどちらが正解なのか分からなくなってしまいます。
ですがよく考えてみると、これらそれぞれの意見は、それを発する人の立場がそもそも違っています。
日本人労働者からの意見、外国人労働者からの意見、雇用主からの意見、日本政府からの意見。
この立場からだとこう思うという前提があるのに、それらを全て一緒にして判断しようとしてしまっています。
議論を始める前に、そもそもどの立場からの意見を最も重要に考えなければならないかという観点が欠如してしまっているのではないでしょうか。
もちろん立場に順位をつけることも決して容易でありません。ですがこのことを議論せずに、いきなり問題部分に焦点を当てて結論を出そうとするのは、大変危険な気がします。
2019年1月14日